名人といわれた中山博道先生(剣道・居合術・杖術範士)が、土佐に伝わる無双直伝英信流居合の谷村派及び下村派を学び、工夫、研鑽され、昭和の初めに「無想神傳流」を称されました。
昭和2年(1927年)の「第31回武徳祭大演武会」では、「長谷川英信流」を名乗っていた中山先生ですが、昭和7年(1932年)に道場、有信館を真砂坂下(東京市本郷区真砂町三七番地)から真砂坂上(真砂町三二番地)へ移転、昭和8年(1933年)2月に開催された「有信館本部開場式演武大会」での演武が「無想神傳流」の名乗りの初めと思われます。
昭和9年(1934年)に発行された『居合読本』(中山博道校閲・太田龍峰著)の中に「人呼んで長谷川英信流と云ひ、又、夢想神傳流抜刀兵法とも称した。」とあり、昭和10年(1935年)に開催された「第39回武徳祭大演武会」において中山先生は「夢想神傳流」で演武されています。
しかし、当時の門下の方々は「大森流」「長谷川英信流」等の流名を称しており、中山先生没後の昭和40年代、その門流に連なる者は「夢想神伝流」に統一されました。
横浜本部道場である夢想館渡邊山道場 初代館長 渡邊喜代司先生も、昭和47年(1972年)までは「大森流」「英信流」の流名で演武されていましたが、昭和48年(1973年)より「夢想神伝流」を称しています。
[夢想神伝流居合道の業]
初 伝(正座) 前(初発刀) 左(左刀) 右(右刀) 後(当刀) 八重垣(陰陽進退) 受流(流刀)
介錯(順刀) 附込(逆刀) 月影(勢中刀) 追風(虎乱刀) 抜打 八重垣替太刀(陰陽進退替業)
中 伝(立膝) 横雲 虎一足 稲妻 浮雲 颪 岩浪 鱗返 浪返 瀧落 抜打(真向)
奥居合(居業) 霞(向払) 脛囲(柄留) 四方切(四角) 戸詰(三角) 戸脇(向詰) 棚下 両詰 虎走
奥居合(立業) 行連 連達 惣捲(五方切) 總留(放し打) 信夫(夜の太刀) 行違 袖摺返(賢の事)
門入(隠れ捨) 壁添(人中) 受流(請流・弛抜) 暇乞(抜打)三本
明治5年(1872年)2月11日生
加賀藩祐筆役 中山源之丞の八男
昭和33年(1958年)12月14日没
東京広尾の佛陀山天真禅寺に眠る
戒名:大雄院殿無想博道大居士
昭和8年(1933年)2月11日開催
大日本武徳會総裁
梨本宮守正王殿下台覧
全日本居合道連盟 十段
元 同連盟 副会長
元 関東地区連盟 会 長
元 横浜支部 支部長
夢想館渡邊山道場 初代館長
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